大石田地区


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 大石田の石塔、祠は建立された当時の場所に現存しているものが多い。それらは集落をとりまく山中に点在しており、また四方を囲むように堂が建てられている。これらの景観から、村人は「どこを向いても神様がいらっしゃる」と言う。

 虚空蔵堂への参道は杉の大木に囲まれ、「祈りの道」という名のとおり荘厳な気配に包まれている。木々の間から臨む山々は、かつて村人が山菜、きのこを得るために歩いた場所である。うっそうとした森と、土を踏みしめて登る参道、その頭上に建つ虚空蔵堂は山深い集落を象徴する景観である。

 毎年7月に行われる「虫送り」の頃には田の畦をホタルが舞い、子供たちが手に持つ行灯の明かりが闇を照らし、山あいの集落を幻想的な世界に変える。

 集落から4キロほど、曲がりくねった道を登ったところに美坂高原がある。かつては「一ノ原」と呼ばれる共有地で、草刈り場、茅刈り場であった。その頃は毎年10月に入ると「茅山の口」があった。集落一斉に茅採取が許される日で、鐘の合図と共に参集し山に入った。牛の飼料、屋根の葺き替えなどの材料供給地として、「一ノ原」は重要な場所だった。重い荷を背負って急坂な山道を下る「カヤショイ」は、大変な重労働だったと古老はふりかえる。「ヒトショイいくらだったからそりゃ本気でやったわい、大変だったけんじょ」という。茅は刈った後束ね、乾燥させる。それを何束もまとめて背負って運んだ。大谷地区からも茅刈りに来ていたが、これは牛に背負わせて運んだという。西方地区の出作り小屋もあり、カノ(火野・焼き畑)が行われていた。

 現在は観光客の訪れる高原となった。百年杉、バーベキューハウス、釣り場などがあり、春の芽吹き、秋の紅葉も美しい。

 2004年9月、三島町生活工芸友の会による「山ノ神感謝祭」が初めて行われた。美坂高原山頂の百年杉の傍らに、ひっそりと鎮座する山ノ神の前に祭壇が設けられ、神官の祝詞に工人ら約30名が低頭して感謝を捧げた。

 工人は山ブドウ蔓、ヒロロ、マタタビなど、自然の素材を材料としてものづくりをしている。この高原が「一ノ原」と呼ばれていた頃先人たちが祈ったように、山と共に暮らす現代の人々も感謝と畏れをもって山ノ神に参拝したことだろう。

<奥会津書房『三島町散歩』より>