三島の民話 おすずの壇

おすずの壇

むかしのこと、高倉の宮以仁王を奉じ源三位頼政は宇治の川原で兵を挙げて平家にかみついた。ひとたまりもなく負けて宮とお供のひと、尾瀬中納言頼實、小椋少将定信はじめ野党のぬえ退治の猪の早太、渡辺の唱をはじめとし高倉の宮の御妃紅梅の御前、付添の桜木姫十六歳になった頼政の娘鈴姫一行二十三人。信濃路から碓氷峠、上州沼田から会津へ。それは長い旅であった。大内の庄で紅梅御前も桜木姫もともに果てた。何回も何回も追って軍勢とたたかった。鈴姫も心身共につかれはて西方の庄に入って銭森長者藤原保祐の館に寄寓することとなった。長者はことのほか姫を吾が娘の如く愛した。月の夜は高倉の宮遺愛の横笛「小枝」を吹き、朝は清らかな泉に姿をうつしては昔を思い唯、ひなの山里にかくれ住む我が身をいといつつ、二たとせの後十八歳で姫は生涯を終えた。長者一族のやさしいみとりの中で静かに東の丘に今も塚があり、お鈴の壇と言う。鈴姫の歩いた道をお化粧坂。姿をうつした化粧清水。今もコンコンと湧く。治乱興亡の歴史いくたびか繰り返されて、唯名のみ残るお鈴の壇には夏でも肌寒い秋風が吹きすぎる。

 

秋立ちそめた頃、鈴姫塚のあたり碧落の彼方。さわやかな横笛の音が流れて来るという。鈴姫の吹き鳴らす横笛だと言う。

遠藤太禅著「奥会津山里民話」より